どうも!マスゴミテレビ局員Tです!
今回は「マヂカルラブリーのネタは漫才か?漫才番組のディレクターが考察してみた」です。
M-1グランプリ2020で優勝したマヂカルラブリー(吉本興業)ですが、SNSを中心に「あれは漫才なのか?」と賛否が巻き起こりました。
今回は漫才番組を担当していたテレビマンとしてあのネタを考察します。
まあ正直、結論から言ってしまえば「お前ら何言ってんの?」って気持ちなんですが…
SNS時代の「こうあるべき」論者がこんな所まで足を踏み入れたかとウンザリしています。
M-1グランプリで披露された“2つのネタ”
まず、M-1グランプリで何があったかを簡単に振り返りましょう。
マヂカルラブリーがM-1で披露したのは「フレンチ」と「つり革」ネタ。
そして特に賛否を巻き起こしているのが、ファイナルラウンドで披露した「つり革」のネタ。
内容は電車のつり革を持ちたくないという野田が、基本4分間「電車の中で転げまわる」というもの。
それをツッコミの村上がツッコミを入れていくスタイル。
「漫才でない」と主張する人の言い分としては「野田は転げまわっているだけで、全然掛け合いになっていない」「コントじゃない?」「本格派ではない」などなど…
なるほどなるほど。たしかに隣で見ていた妻も「これ漫才なの?」と聞いてきたくらいですから、そんな風に思うのも無理ないですよね。
しかし、ではあえて逆に、否定派のみなさんに問いたい。
みなさんの言う「本格漫才」ってなんですか?
ってか漫才って掛け合いしないとダメなの?
しゃべくり漫才が偉いなんて誰が決めたんでしょうか。
中川家やサンドウィッチマンが本格漫才なのか?
よく「本格漫才」や「しゃべくり漫才」であげられるのは最近では中川家とかサンドウィッチマンですかね。
M-1のファイナリストメンバーでいえば、見取り図は本格漫才として認められているようです。
(見取り図がかわいそーって意見を散々見ましたから)
昔で言えば「しゃべくり漫才の元祖」と言われるエンタツ・アチャコや中田ダイマル・ラケットでしょうか。
しかし中川家がラジオで「オレら別にしゃべくり漫才じゃないし」と言っていたように本人にたちにはその自覚はないようです。
そもそも2組はいわゆる「コント漫才」も得意としていますしね。
「しゃべくり」に限定されても困るでしょう。
また、しゃべくり漫才しかしていないという幻想を抱かれがちなダウンタウン以前の漫才師たちも、舞台ではマヂカルラブリー以上に大暴れしていました。
西川のりお・よしお師匠やザ・ぼんち師匠なんて今でも暴れまくってますしね(笑)
エンタツも相方をぶん殴ってた時期もあるそうですから、決して「話術」だけで勝負していない事が分かります。
マヂカルラブリーを「漫才じゃない」と決めつけたい論者たちは、漫才を継承・発展させてきた他の漫才師も否定しているように思えてなりません。
では漫才ってなんなんでしょう?
漫才番組でディレクターが大切にしている、ただ1つだけの事
賛否が巻き起こったM-1グランプリですが、公式サイトによるとその審査基準は「とにかくおもしろい漫才」。
要は審査員が「これが漫才」だと思えば、それで問題ないのです。
そして審査員たちはこれを「漫才ではない!」と誰も主張しませんでした。
ダウンタウン松本人志、オール巨人師匠、上沼恵美子ら超一流の漫才師たちがです。
僕が漫才番組であおりVTRを作る時も「38マイク(漫才で使われるスタンドマイク)1本で笑いをとる」みたいなキーワードをよく使っていました。
ぼく以外のディレクター陣もプロデューサー陣も、誰も「ただし、しゃべくりに限る」なんて限定はしたことも、しようとも思ったこともありません。
38マイク1本で笑いをとるなら、しゃべくりだろうと、音ネタだろうと、舞台上を転げまわろうとOKです。
本来、漫才はおもしろければそれでいい、極めて自由な演芸だったはずなんです。
漫才ディレクターとして、僕が漫才番組を制作するうえで大切にしていたのは1つだけ。
持ち時間をいかに漫才師に好きに、自由に、気持ちよく使ってもらうか?
漫才番組ってディレクターやスタッフが介在できる余地が少ないんですよね。
番組のおもしろさは「漫才師のネタの面白さ」にかかっている。
だからこの1点に全力を注ぐ訳ですね。
それを「しゃべくりかどうか」みたいなしょうもない事で制限するディレクターがいたらぶっ飛ばしてます。
「好み」が「べき」にすり替わってはいないか?
今回の騒動が「私はこのネタ好きじゃなかった」「しゃべくりの方がいい」等の「好みの話」だったら、多分僕は何も言いませんでした。
でもそうじゃない。
マヂカルラブリーが死ぬ気で考え、作ったであろうネタを簡単に「漫才でない」と決めつける。
この感覚が僕には全く分かりません。
100日後に死ぬワニの騒動でも、恋愛リアリティショーで誹謗中傷を受けた方が亡くなられた騒動も根本は同じように感じます。
自分の意見を絶対の正義と信じ込んで「べき論」で攻撃する。
その結果、相手がどう感じるかも考えない。
今回はたまたま、マヂカルラブリーが芸人で、この騒動も笑いに変えています。
でも彼らの本心は誰にも分かりません。
もしかしたら死ぬほど悔しくて、悲しんでいるかもしれません。
なんだか寂しい時代になりましたね。
ぜひ、あのネタが漫才か漫才でないかでなく、「面白いかどうか」「どう感じたか」で議論したいです。
ちなみに僕はファーストラウンドの「おいでやすこが」が1番面白かったので、こんなにマヂカルラブリーを擁護する必要もないんですけどね!