どうも!マスゴミテレビ局員Tです。
今日は「テレビディレクターのやりがい&喜びとは?【マスコミ就活】」をお届けします。
テレビ業界、特に制作現場はみなさんの想像どおり「激務」です。
残念ながら、辞めていく人も後を絶ちません。
それでも断言します。
テレビを作る仕事は「メチャクチャおもしろい」です!
こんなに面白い仕事は他にないと信じて仕事をしています。
では、テレビディレクターは何にやりがいや喜びを感じて、日々働いているのでしょうか?
10年以上テレビ制作で飯を食っているTの“リアルな目線”でお届けします。
目次
■散々だったAD時代
突然ですが、Tは「仕事が楽しい」と言うADが嫌いです。
言葉は悪いですが、こんなことを言うADは本当に信じられないのです。
なぜか?
ADの仕事は、絶対に面白くないからです。
むしろ苦しいだけ。
「テレビ業界の仕事」といえば、豪華な出演者に囲まれてチャラチャラした世界に思われがちです。
しかし、現実は180度異なります。
ADに待っているのは、ディレクターに命じられた素材探しや許可取りなどのひたすらに地味な作業。
アルバイトでもできそうなつまらない業務ですが、休憩もせず、シャワーも浴びずに没頭しても終わる気配がありません。
さらに、少しでもアピールするために、実現するでもない番組の企画書を延々書き続けなければなりません。
当然、睡眠時間もなく、よく身体を壊さなかったなとゾッとするような地獄の職場です。
(※今はテレビ局も働き方改革が進んでますけどね!)
Tは日々、仕事が嫌で嫌でたまりませんでした。
「こんなはずじゃなかったのに・・・」何度辞めようと思ったか分かりません。
しかし、そんなTにある日、転機が訪れます。
■初めてのロケで大失敗
2年目で、初めてディレクターの仕事がもらえたT。
内容は「ある商業施設のオープン」を紹介するVTRでした。
ようやく、ようやく、ようやくめぐってきたチャンス。
はりきって挑んだTでしたが、結果は散々でした。
ロケ先では緊張のあまり何もできず、結局先輩Dがディレクションしてくれました。
編集も自分なりにやってみたものの、すべてプロデューサーに直されました。
悔しすぎて、二十歳を過ぎた大人がトイレにこもって泣きました。
ADとして積み上げてきた経験・知識がまったく通用しなかったのです。
しかし、実際にオンエアされると地方に住んでいる親が連絡してきてくれました。
「あのコーナーはTが担当したんでしょ?すごいねぇ、近所に自慢しちゃった」
両親はTが想像していた以上に喜んでくれていました。
そして、番組のエンドロールにはじめて載ったTの名前を、写メで送ってくれたのです。
■原動力となった「親の支え」
初めてのディレクター仕事は散々で、しばらくはAD業務も継続しながらディレクター修行をすることになりました。
上司からすれば「任せてみたものの、まだまだだと分かった」ってところでしょうか。
Tはチャンスがつかめなかったのです。
「自分には才能がない」本当にテレビ業界を去ろうと思っていました。
しかし、遠く離れて住んでいる親が喜んでくれる。
どん底に落ちていたTにとって、喜んで待っている人がいることはビックリするほど心の支えになりました。
それがたとえ親だとしても。
マザコンと思われそうですね笑
しかも、Tは初めてVTRを任されたことを親に言っていません。
そもそも仕事に忙殺されて、親に連絡なんて取ってなかったですから。
にも関わらず、親は毎週Tの担当番組を欠かさずチェックしていて、エンドロールに名前が載ったから気づいたそうです。
親の気持ちを想像すると、目頭が熱くなりました。
その後はなんとか食らいつき、ディレクターへと成長できました。
親の何気ない応援メールがなければ、Tは辞めていたかもしれません。
■テレビディレクターの“やりがい&喜び”
このように散々なAD時代を過ごしたT。
だから逆に、ADを楽しめている後輩を見ると羨ましいのです。
Tは結局、ADの「やりがい&喜び」を見つけられませんでしたから。
Tは、ADを“ディレクターになるための修業期間”ととらえ、いかにはやく脱出できるかしか考えていませんでした。
でも、ディレクターになった今、ハッキリと断言できます。
テレビを作るのはおもしろい!
ではどんな時に「おもしろい」と感じるのか?
テレビディレクターの「やりがい」や「喜び」はどこにあるのか?
Tの場合、次の2つに大きなやりがいと喜びを感じます。
- 「やりたいこと」を形にできたとき
- 仲間が力を貸してくれたとき
■「やりたいこと」を形にできたとき
最もやりがい・喜びを感じるのは「『やりたいこと』が形にできたとき」。
つまり、「自分の企画が番組になり、無事にオンエアされたとき」ですね。
ADの作業も地味ですが、実はディレクターの業務も負けじと地味です。
ロケ・収録は芸能人もいるので多少派手かもしれませんが、成功させたいので楽しむ余裕はありません。
あとはひたすら孤独に編集作業。
同業者の方は分かってもらえると思いますが、ディレクターって本当に孤独を感じる瞬間が多いですよね。
そのため、ADの時から引き続き、仕事中に「楽しい」と感じる瞬間は皆無です。
仕事内容自体はまったくおもしろくありません。
相変わらず、苦しいだけ。
しかし、すべてがチャラになる瞬間が「オンエアされたとき」なのです。
全国ネットであれば、日本中で自分の作品が放送されるのです。
これは“何物にも代えがたい喜び”があります。
風呂にも入っていない汚い若者が、必死に考えて作った企画を、テレビの前で何万人もの人々が笑ってくれる、涙してくれる、怒ってくれる。
とてつもない「やりがい」を感じ、病みつきになります。
テレビを夢中で観ていた子供の頃の自分に教えてあげたくなります。
「お前は将来テレビ番組を作って、日本中の人が観てくれる作品を作るんだぞ」
手前味噌で申し訳ありませんが、有名でもなんでもない、何物でもない自分が世の中に何か残せた気がして胸が熱くなるんです。
ちょっと大げさだったな(笑)
まあ夢のある仕事ってことです 。
ちなみに、「視聴率」は当然気にしますよ。
視聴率がよければ、番組が継続したり、放送枠が向上する場合があるので、放送の翌日は視聴率が出るまで安心できないですね。
■仲間が力を貸してくれたとき
続いて「仲間が力を貸してくれたとき」もやりがいを感じます。
ジャンプみたいなことを言って申し訳ないです(笑)
テレビ局には、各分野のスペシャリストが存在します。
局員だけでなく、メイク・美術・照明・カメラマン等、あらゆる分野のプロフェッショナルたちです。
彼らの存在が「テレビ局の強み」だとTは考えています。
しかし、一筋縄ではいきません。
テレビ局に出入りするその道のプロたちは、「こいつは何者だ?」という厳しい目でディレクターを見ています。
特殊な世界なので、「職人がたき」の難しい性格の人もいます。
そして中には、Tがまだ幼稚園に通っている時から仕事をしているベテランも大勢います。
しかし、日々真剣に向き合っていると、年齢も会社も異なる彼らが認めてくれる時がきます。
そしてテレビや映像コンテンツが大好きで仕事をしている人がほとんどなので、「おもしろいことをやりたい」というディレクターの想いに対して、とんでもなく力になってくれます。
今思えば、ADという期間は、「彼らとコミュニケーションをとり、いつかディレクターになった時のために信頼を勝ち獲る」ためにあるのかもしれません。
実際、ディレクター人生で勝負所となるような番組を制作することになったとき、「お前のためなら」と彼らが惜しみなく力を貸してくれました。
涙が出るほど嬉しくて、収録もしていないのに番組の成功を確信したことを覚えています。
二十歳半ばの小僧の「やりたいこと」を実現するために、50歳も過ぎた超ベテランが喜んで自らのスキルや経験を差し出してくれるのです。
こんなに恵まれたポジションを、私は知りません。
■まとめ
- 「やりたいこと」を形にできたとき
- 仲間が力を貸してくれたとき
ちょっと大げさに言い過ぎましたかね(笑)
今になって恥ずかしくなってきました。
実際は、上司に褒められても嬉しいですし、Twitterで評判がいいと誇らしくなります。
取材先の人に感謝された時も、当然嬉しいです。
でも最大の喜びはやっぱり、「自分の企画が番組になり、多くの仲間に支えながら、日本中に届けられたこと」これにつきますね。
テレビ局への就職・転職を目指す方に断言します。
テレビ番組を作るのはめちゃくちゃ楽しいですよ!めちゃしんどいですけどね!
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